施設について
駐車場
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庭・玄関
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受付
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ホール
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礼拝堂
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親子礼拝室 / キッズルーム / 母子室
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バリアフリーについて
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服部喜望教会 創立期の沿革

「熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え、望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい。」(ローマ12章11-12節)
1962年4月8日、豊中市服部豊町にある西山実吉宅に「放出教会服部喜望伝道所」の看板が掲げられ、日本イエス・キリスト教団委員長 道城重太郎と放出教会牧師重近福蔵の司式によって伝道所開所式が執り行われた。これが服部喜望教会の伝道開始である。1948年、キリスト者であった西山ミテは東大阪市放出で食堂を営むかたわら、自宅で家庭集会を始めた。
夫の実吉は家庭集会の日は外出したり帰宅を遅らせたりして集会への参加を避けていたが、ある時、集会日を勘違いして家庭集会が行われているところに帰宅し、そのまま集会に参加することになった。実にそのことが求道のきっかけとなり、1950年、放出教会の重近福蔵牧師から洗礼を授かった。
この時、実吉57歳。65歳を迎えたときに伝道者となる志が与えられて大阪キリスト教短期大学に入学、卒業後に関西聖書神学校に入学して学びを続ける。同神学校卒業後、当時の教団委員長であった道城重太郎、放出教会の重近福蔵との相談を経て自宅を伝道所として開拓伝道をしていくことになった。1階15畳の板敷間にカーペットを敷いて座布団を並べ、古机にカバーをかけて講壇とし、小型のヤマハ足踏みオルガンが置かれた。これが開所当時の伝道所であった。
頭書の聖句は、伝道所の開所に当たり祈って与えられたもので、今日に至るまで、服部喜望教会の信仰指針を示す聖句となっている。この聖句の「望みをいだいて喜び」から服部喜望教会という名称がつけられた。
所属教団について
「教団信仰告白」と「使徒信条」
教団信仰告白
わたしたちは信じて、告白します。
旧新約聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれた、誤りのない神のことばであり、キリストをあかしし、福音の真理を示すもので、教会の拠(よ)って立つただ一つの正典です。聖書は、わたしたちに、神と救いについての完全な知識を与えるものであり、信仰と生活の規準です。主イエス・キリストによって啓示され、聖書にあかしされた唯一の神は、父と子と聖霊の三位一体の神であり、その本質において同一です。
教団信仰告白
わたしたちは、神の恵みにより、ただキリストを信じる信仰によって義とされ、罪をゆるされ、神と和解し、新たに生まれて神の子とされます。
わたしたちは、キリストの血によって、すべての罪からきよめられ、神のものとされ、聖霊のバプテスマを受け、その内住による全き支配によって、主のかたちに変えられていきます。主は再び来られ、わたしたちを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて、永遠のみ国をつぐ者とされます。
教会は、キリストのからだであって、神に召された聖徒の集まりです。教会は、公同の礼拝を守り、主の命にこたえて、福音を正しく宣べ伝え、聖礼典を行ない、聖徒をととのえ、主に仕えつつ愛のわざを励み、主が再び来られるのを待ち望みます。
わたしたちは、このように信じ、代々の聖徒と共に、使徒信条を告白します。
使徒信条
「使徒信条」とは「私たちはこのように信じています」という信仰告白です。
使徒信条
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、
三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、
全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、
罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命を信ず。
アーメン